« 本日限り! | トップページ | シークレットは・・・ »

オフサイド・バックパッカーズ(1)

第1章 朝の光 発端

(1)

ある朝、眼を覚ました時、これはもうぐずぐずしてはいられない、と思ってしまったのだ。

私はフランスのマルセイユ港に向かっていて、船を下りたら南下してバルセロナに行こうか、北上してアムステルダムに向かおうか迷っていた。

終盤を迎え大勢は見えたといっても、ヨーロッパのサッカーシーズンは真っ盛り、スペインリーグを観るか、アムステルダムから海を渡ってイングランドリーグという選択肢もある。

少なくとも、スペインの海沿いの土地では、ローマやパリの半分の金で楽に暮らすことができるという話に嘘はないようだった。

一方、ロンドンは都会であり、スペインのような安上がりの生活は期待できないが、なによりも、サッカーの母国でもあり、プレミアリーグ観戦ができるというだけで心ひかれるところのある街だった。

<バルサにしようか、それともアーセナルにしようか・・・・・>

私は迷いながら、しかしいつまでもその迷いを貨客船のベッドに宙吊りにしたまま、その日その日を無為に過ごしていた。

日本を出てから3ヶ月になろうとしていた。

人生の中休みと称して、仕事を離れ旅に出た。ヨーロッパ航路のチケットを手に入れ、中国・ベトナム・シンガポール、船に定められた寄港地に降り立ちながらインドへ渡り、アフリカ大陸の名前すら聞いた事の無い国の港を経て、地中海に入った。定めた旅程などは無かったのだが、メイドインチャイナのノートに記入した日記のページが増える毎に、果たして俺はあとどれくらい旅を続けられるのだろうか、と不安を覚えるようになっていた。

しかし、私がその朝、もうぐずぐずしてはいられないと思ったのは、必ずしもそんな理由ではなかった。

私の船室、といってももちろん個室ではない。ドミトリー、つまり大部屋だ。船底に近く窓すらない船室に、造り付けの2段ベッドがならぶ。要するに、一昔前の移民船の3等船室、タイタニック号のディカプリオを気取ったところで、どうなることもない。

しかし、大洋を往く船の甲板にさす太陽は、1等船室と分け隔てることなく等しく降り注ぐ、デッキチェアーひとつ分の空間を自分のものにした若者たちが、一日中なにをするでもなくゴロゴロしていた。

フランス、イギリス、オーストラリア、アメリカ、そして日本。それぞれ国籍や肌の色は違っていても、飛行機で目的地へ向かうご時勢に背を向けて、浮世離れしたペースで日々を過ごす旅行者ということに変わりはなかった。食事の時間に食堂にぶらりと出向くくらい、それ以外の時間はデッキチェアーの上で何度も読み返したグラビア雑誌をそらんじるくらいしかすることがない。船賃に組み込まれた食事だけで過ごせば、1ドルも使わないで一日が過ごせるのだ。

たとえば朝、2段ベッドの上段で眼を覚ますと、今日一日どうしようかと考える。船の揺れで甲板の状況が予測できる。着古したショートパンツとTシャツを身につける。起きたからといって急にすることが見つかるわけでもないが、とにかく太陽を求めて甲板へ向かう。まず行くのは後部甲板のビュフェだ。

Lrg_10563908

馴染みになった中国系ベトナム人の見習いコックからトレイを受け取り、トーストとサラダを乗せてもらうと、コーヒーカップを片手に手すり際のテーブルに着く、緩やかに蛇行した航跡を眺めながら、時間をかけて朝食をとる。

だが、いくらゆっくり朝食をとったとしても、それで一日が終わるわけではない。ゆったりとした船の揺れに身をまかせたまま、デッキチェアーの定位置でなにをするというわけでもなく、太陽が水平線に沈むまで眺めているといったお決まりの時間割が繰り返される。

そんな大洋での航海も終わり、スエズ運河を抜け地中海に入った。左舷にイタリア領のサルディーニャ島、右舷にフランス領のコルシカ島、ラジオからはイタリア語の放送が混信し聞き取りにくいフランス語の音楽番組が漏れ聞こえる。

私はいつもと違う勢いで、2段ベッドの上段からとび起き、荷物を片づけはじめた。周囲の連中は、私のその慌ただしさに怪訝そうな視線を向けてきた。中には、きっと悪い夢でも見たのだろうといったひややかな顔つきの若者もいたが、私は実に久し振りに、体のすみずみまで気力が満ち溢れるのを感じていた。そして、私はその昂揚感を逃がすまいと、懸命に自分に言い聞かせていた。さあ行こう、テヘランまで。ワールドカップアジア最終予選の天王山、イラン代表との決戦の地までいってみよう、と。(つづく)

|

« 本日限り! | トップページ | シークレットは・・・ »

「オフサイド・バックパッカーズ」」カテゴリの記事